ハルルコ…成人スティム病の私と自閉症スペクトラムの娘

成人スティム病の私と発達障害の娘の日々

自閉症スペクトラムの娘との日々

今は小学5年生になる娘が発達障害自閉症スペクトラムという診断を受けたのは小学校2年生の3月だった…

 

2年生になって、学校に行くのを嫌がった。1年生の時は行けていたのになぜ?!といろんな事を想像した。真っ先に浮かんだのはいじめ?!という事だった。でも…彼女の話を聞くと、担任の先生が代わり、先生が他の子を怒っていても自分が怒られている気持ちになるということ。あと…人の目がとても怖く感じるということ。

最初は私と一緒になんとか登校していたが、登校をホントに泣いて嫌がるようになり、スクールカウンセラーの方に相談したりして、無理やり学校連れて行くのは良くないという話をきいた。そして…週2,3回だけなんとか学校に行くようになった。

自分も学校は好きではなかったけれど、行かなければいけないところという気持ちが強く、行くのが当たり前だと思っていた。

行っていると友達ができて、学校が苦ではなくなったりした経験もあり、学校に行って欲しい気持ちと無理はさせたくない気持ちがいつも心の中に燻っていた。

3年生の時はなんとか嫌がる日もあったが、毎日のように行けるようにはなった…担任の先生の力の大きさも感じた。でも、学校が楽しいとは思えない娘であった…

4年生…また担任の先生が代わり、また学校に行くのを嫌がるようになった…算数だけはオンラインで受けれるようになり、算数をオンラインで受けつつ、行ける時は学校に行くようになり、発達障害センターに相談したり、心療クリニックに行ったりして、やはり自閉症スペクトラムだと診断され、中学校までになんとかなれば…というような話を聞き、教育センターにも相談に行き、小学校グループという創作活動を主体とした不登校の子どもなどが参加する活動にも参加するようになった。週2回学校、週2回放課後デイサービス、週1回小学校グループに参加するペースができ始めた。

そして…私が成人スティム病にかかり、入院することになり、ペースは崩れてしまった。

5年生になり、最初が肝心と思い、できる限り学校には行くようにして、嫌がる時は一緒に行って、連絡帳を書いて、帰るようにしている。

これが正しいのかは分からないけれど、やれる事をやる…特に自分がいつ…入院することになるのか、分からない状態だと思うと…余計に今やれる事をやろうと懸命になってしまう。

でも、あまりしんどく考えず、楽しんで日々を送りたいと思っている。

 

そして…再度自閉症スペクトラムの本を読み返している。自閉症スペクトラムの本を読んでいると、二次障害になる前に…という言葉をよく見かけるけれど、二次障害が起きて、初めて発達障害を自覚したんだよーと思ってしまう時があるのでした。